畳とちゃぶ台

僕は大阪の祖母の家で生まれた。祖母の家は主な生活スペースはフローリングだった。一階の仏壇がある部屋は畳で、二階の布団を敷く部屋も畳だったが、食卓はフローリングにテーブルと椅子という形で、テレビがあるリビングは絨毯の上にソファが置かれていた。

その後僕は松本に引越し、普通のアパートに住むことになった。ここの記憶は全くないし、再び訪れることもなかったので分からないが多分フローリングだったと思う。

3歳から5歳はアメリカで過ごした。シカゴでの生活は高層マンションの33階、もちろんテーブルに椅子だ。

日本に帰ってきて松本のマンションに住んだ。僕の記憶ではこの家にも畳の部屋はなかった。あったかもしれないが僕はいつも椅子かソファに座っていた。

小学3年のとき親が一軒家を立てた。うちの両親は二人とも洋風への憧れが強く、もちろんフローリングで、尚且つ3階建ての家になった。椅子に座っている、ソファに座っている感覚と、三階建てに住む感覚は似ている。もし畳をしくなら3階建てにはしないはずだ。

地面から離れる感覚は西洋特有のもので、逆に畳に腰を下ろす、地面に腰を据える東洋的な感覚は、バレリーナと日本舞踊、フェデラー錦織圭、相撲とボクシングといった対比に現れる。西洋的な神々は雲の上にいるが、東洋的な神は自然の中にいる。精神性が強い西洋人は上への意識が強い。特にダンスはその地方の身体性を顕著に表す。バレリーナは紐で上に引っ張られているような状態で踊る。バレリーナの体はフワッと宙に浮く。それに対しすり足が基本となる能や狂言の演者の体は地面を離れない。

僕はこの西洋的な「上」への意識にずっと違和感を感じてきた。どこか地に足がついていない感じがずっとしていたのだ。だから一人暮らしを始めるとき、実験として畳の部屋に住んでみようと思った。

大学でヨーガのクラスをクラスを取ったとき、一番驚いたのがその講師が畳に座る姿だった。それは丸太がドンと置かれているような、そこに木が生えているような姿だった。僕は畳で長時間あぐらをかいていることさえできない。あぐらをかいていると、後ろの方にゴロンと転がってしまうのだ。それは今僕がこの文章を書いているときの姿勢、つまり机に向かい、足を組み、椅子の背中に体を任せていることに慣れきっていることによる。その講師も、日本人が畳で生活しなくなったことの弊害をいろいろ述べていた。西洋人は椅子に座ることに体が慣れているから良いが、日本ではこの生活様式新しいものだ。小津の映画を見ていても服装は洋服だが基本的にみんなが畳に座っている。

僕はある意味生粋の椅子に座る身体なのだということが、この4年間畳の部屋に住んでわかった。4年間住んで、ちゃぶ台も買ったが最後の最後まで畳に座る生活はできなかった。結局畳にテーブルと椅子を置いている。

自分がどんな生活をしてきたかを振り返ればこれは当たり前のことだ。僕は生まれてこのかた一度も畳で生活をしかことがない。もちろん畳で生活できる身体もできていない。その事実を理解できて良かったと思う。

でもだからと言って西洋的な生活をするしかないということではないと思う。畳の生活はもうしないかもしれないが、少なくとも平屋に住みたいという気持ちはある。畳のへやにテーブルと椅子を置くのは、やってみればわかるが、あまり心地よいものではない。フローリングにテーブルを置き、椅子に座る。生まれた時からこのような生活をしてきたから僕は多分身長が伸び、西洋的な体つきになったのだと思う。今更体を大きく変えようとは思わない。僕は当分の間この西洋的な体と付き合っていくしかない。でも畳に座りちゃぶ台を囲んでいた見たことのない先祖たちの姿は忘れないようにしたいと思う。